ジョーンズ夫人:江戸幕府はどこに会ったんですか。 鈴木夫人:現在の江戸です。いまの宮城がもど江戸城です。 ジョーンズ夫人;江戸時代はどのくらい続いたのですか。 鈴木夫人;約300年くらい続きました。 ジョーンズ氏:よくそれだけの長い間政権を維持できましたね。 鈴木氏:そうなんです。そのためにはあの手この手の支配の体制をとったんです。 ジョーンズ氏:たとえば、どんな? 鈴木氏:当時は、米かお金の代わりになっていました。幕府は米の全生産の4分の1を産出する土地と住民を握っていました。この富とよって、諸大名に対して圧倒的な軍事力を持っていたのです。それに、武士を頂点とする士、農、工、商という社会階層を定めました。武士だけが武器を持ち、その武力によって支配階級として、税タイ的な権力を持っていたのです。 ジョーンズ氏:まさに武士の天下だったんですね。 鈴木氏:そうです。支配体制を維持するもうひとつのカギは、幕府がとった地方の行政を担当する大名の配置の仕方だったんです。 ジョーンズ氏:どんな配置をしていたんですか。 鈴木氏:徳川一族の大名とか徳川の家来の大名を江戸の周辺や全国の重要な地点に配置したんです。 ジョーンズ氏:そうして軍事的に江戸の防備をしたわけですね。 鈴木氏:そうなんです。それから、大名を1年ずつ江戸と国元に交互に滞在させました。大名が国にいる間は妻子は人質として、江戸に滞在させたのです。 ジョーンズ夫人:厳しいと巧妙なやり方ですね。 ジョーンズ氏:その頃は外国との交流はどうなっていたんですか。 鈴木氏:17世紀のはじめには幕府は、まだ外国と交流しようという気持ちが強かったんです。ところが、キリスト教の自由?平等の精神は封建制度とは矛盾するものでした。それに西南の大名が貿易によって経済的に繁栄するのを防ぐ必要もあったのです。そのために、キリスト教を禁じ鎖国政策をとったんです。 ジョーンズ氏:まったくどこの国とも交易しなかったのですか。 鈴木氏:いや、オランダ、中国、朝鮮だけとは交易していたのです。ただ、交易の場所は長崎だけに限られていました。 ジョーンズ氏:世界の動きから離れて、マイナス面が多かったでしょうね。その頃ヨーロッパではニュートンがいろんな発見をしたり,蒸気機関車が作られたりしていた時代なんですから。 鈴木氏:確かにマイナス面もあります。しかし、プラスの面も考えられます。最近では、江戸時代300年の間に国内の文化が発展成熟して素地ができていたために、日本がアジアで一番早く近代化で来たのだという見方も強いんです。 ジョーンズ夫人:どのような発展があったのですか。 鈴木夫人;学問では、儒学,歴史学の分野で、優秀な学者がたくさんでましたし、数学、農学、薬学も独自に発展しました。和数という数学は、微分?積分に使いレベルに達していたんですよ。また、18世紀末から19世紀初めには、特に庶民にも教育が普及しました。農民。町人を教育する寺子屋という小さな学校は2万もあり、民衆の半数近くが読み書き計算ができたようです。 ジョーンズ氏:産業面でも、これと並行して発達があったんでしょう。 鈴木氏:そうです。全国の商業、手工業、農業技術が発達しました。京都?大阪?江戸などへの農業物を運ぶための街道や航道、流通機構も整備されました。 ジョーンズ氏:この時代は芸術家の活動も活発でしたか。 鈴木氏:文化も多彩な発展をしています。歌舞伎、浮世絵、陶磁器、漆器、,文学では俳句や小説などの芸術がいっせいに花開いた時代です。
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