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6. ロナルド・レーガン第一期大統領就任演説(1981年1月20日)
ハットフィールド上院議員、最高裁判所長官、大統領、副大統領のブッシュ氏とモンデール氏、ベーカー上院議員、オニール下院議長、ムーマウ師、そしてアメリカ国民のみなさん。ここに今日集まっているわれわれの何名かは、この大統領就任式は厳粛でもっとも重要なことでありますが、わが国の歴史にとってはごくあたりまえのことにすぎません。この憲法で必要とされている整然ととり行なわれる権力の委譲は、手順通りほとんど2世紀ちかくもとり行われてきました。そしてわれわれの間では、われわれが実際はどれほど奇妙であるか立ち止まって考えるものはほとんどいません。世界の多くの人の目からみれば、われわれが普通のこととして受け入れているこの4年ごとのセレモニーは、奇跡そのものといってもいいでしょう。 大統領、私はあなたがこの伝統を受け継ぐためにどれほどのことをなしとげたかを国民に知ってもらいたいと思います。継承におけるあなたの寛大な協力のおかげで、見守っている世界中に、われわれが他の政治体制よりずっと個人の自由を保障する政治体制を保持して行くことを約束する、結束した国民であることを示すことができました。そしてわたしは、あなたや国民にわれわれの共和国の擁護者でありつづけたことを感謝したい。 われわれの国の経済は前進している。今のアメリカには経済的な困難に数多くの人が直面している。われわれは、アメリカの歴史上もっとも長く、もっともひどいうちの一つのインフレに苦しんでいる。インフレはわれわれの経済上の決定を歪め、貯蓄銀行を窮地に追い込み、必死に働く若者や収入が固定されている年配層を同じように破滅させ、われわれ何百万人もの人生を痛めつけようとしているのである。 仕事のない産業は労働者を失業へと追いこみ、人をみじめにさせ自尊心を深く傷つけた。働いているものにも、成功者を罰しわれわれが最大限に生産をさせないようにしている税制のおかげで、労働に値する賃金が支払われていない。 しかしわれわれの税がどんなに重いものでも、公的な支出と肩をならべるまでのものではない。何十年も、われわれは赤字に赤字を重ね、われわれの将来を、われわれの子供の将来を現在の一時の都合で担保にしてきた。この長い間やってきたことを続けるつもりなら、社会的に、文化的に、政治的に、経済的に大変動が起こることは確実だろう。 あなたがたと私は、個人として、借り入れをすることで、ある特定の期間だけなら資産以上の生活を送ることができる。それなのに、集団となると、つまり国としては、われわれが同じ制約をうけないと考えられるだろうか? 今日われわれは、明日のことを考え行動しなければならない。そして誤解がないようにしたい、われわれは行動し始めている、今日始めているのだ。 われわれが苦しんでいる経済的な苦境は、ここ数十年に渡るものである。数日や、数週間や、数ヶ月で解決したりするものでない。しかし将来には解決するものである。なぜならわれわれは、アメリカ人として、この最後にして最大の自由のよりどころを守るために必要なことはなんであれ実行するのに、過去にもっていたのと同じ能力を現在も持ち合わせているから、それは解決するのである。 この現在の危機において、政府がわれわれの問題の解決策ではない。 ときどきわれわれは、社会は自治にはあまりに複雑になりすぎているとか、人民の、人民による、人民のための政府よりエリートによる政府の方が優れていると考えがちである。われわれのうちのだれもが自己を管理できないとしたら、われわれのうちの誰が他の人を管理できるというのだろうか? われわれはみな一緒に、政府の中であれ外であれ、重荷を背負わなければならない。どれか一つのグループが高い代償を支払うために選び出されるようなことがあってはならない。 われわれは特定の利害に関わるグループのことをよく耳にする。われわれの関心は、あまりに長い間無視されてきた特定の利害に関わるグループに向けられなければならない。そのグループには地域的な境界や、民族的、人種的な区分がないことはわかっているし、政党の政策ともすれちがっている。そのグループは、われわれの食料を生産し、通りをパトロールし、鉱山や工場で働き、われわれの子供たちを教え、家庭を守り、病気の時はわれわれを癒してくれる、専門職、実業家、小売商人、事務員、タクシーやトラックの運転手である男女から成り立っている。かれらは要するに「われわれ人民」であり、この集団がアメリカ人と呼ばれるのである。 さて、この政府の目的は、健全たる活気にあふれた経済の成長である。その経済は全てのアメリカ人に平等に機会を与え、偏見や差別からの障害がない経済である。アメリカを仕事にひきもどすということは、全てのアメリカ人を仕事にひきもどすということである。インフレを終わらせるということは、全てのアメリカ人が急騰する生活費の恐怖から自由になるということである。この「新しい始まり」の生産的な仕事に全ての人が加わらなければならない。そして全ての人が経済の復興の分け前に与らなければならない。われわれのシステムと力の源泉である理想主義とフェアプレーの精神でもって、われわれは強く、繁栄し、アメリカ自身と世界を平和にするアメリカを作り上げることができる。 そして始めるにあたって、棚おろしをしよう。われわれは一つの政府をもつ一つの国であり、政府以外の手段はない。このことが地球上の国々の中でもわれわれを特別なものとしている。われわれの政府は、人民から認められた権力以上を手にすることはない。今こそ、政府の統治を受けるものの了承をこえて政府が大きくなるしるしを見せている、その成長をチェックして小さくするときである。 連邦政府の権力機構のサイズと影響を抑制し、連邦政府に認められた権力と州と人民のために確保された権力の間の違いをはっきりさせることを要求するのが、私の努力をするところだ。われわれはみな連邦政府が州を作ったのではなく、州が連邦政府を作ったことを思い出す必要がある。 さて、もう誤解する余地はなくなったことだろう、政府をなくすのは私の努力するところではない。むしろ政府を、われわれの上に立ってではなく、われわれの側に立って、われわれの背に乗ってではなく、われわれとともに働くようにすることが私の努力するところである。政府は機会を提供することができるし、またしなければならないが、それを握りつぶすようなことがあってはならない。政府は生産性を促進できるし、またしなければならないが、それを抑制するようなことがあってはならない。 もしわれわれが、なぜわれわれはこれほど何年もの間これほどのことをなしとげてきて、この世界でもっとも繁栄しているのかという理由に目を向けてみれば、その理由はここ、この土地にあり、われわれはかつてなかった程度まで、個人のエネルギーと能力の束縛を解いたのだ。自由と個人の尊厳は、ここでは世界中のどこよりもずっと容易に入手可能で、保証されていた。この自由の代償は、時々は高くついたこともあったが、われわれはその代償を支払うのに躊躇したことはなかった。 われわれの現在のトラブルと、政府の不必要で過大な成長に起因するわれわれの人生への干渉と介入が、対応づけられたり比例しているのは偶然ではない。われわれは、大きすぎる政府がわれわれの夢を小さくする制約となっているのに気づくときなのである。われわれは、いくにんかがそう信じているように、ただ漠然と必然的に下降の道を歩んで行くようなことはない。私はわれわれが何をしようとも降りかかってくるような破滅は信じないが、われわれが何もしないなら、降りかかってくる破滅は信じる。だからわれわれの使命に全ての創造的なエネルギーを注いで、国を再生させる時代の幕をあけよう。われわれの決意、勇気、力を新たなものとしよう。われわれの信仰と希望を新たなものにしよう。 われわれはみなヒーローのような夢をみる権利をもっている。われわれがヒーローなんていない時代に生きているのだという人々は、目のつけどころを知らないだけなのだ。あなたがたは、毎日工場の門を出入りするヒーローを見ることができる。他にも、数は少ないが、われわれみなそして全世界にありあまるほどの食料を生産しているものもいる。あなたがたはカウンターの向こう側でもヒーローに出会うことができる。そしてヒーローはカウンターのこちら側にもいるのである。自分自身やアイデアを固く信じて、新しい仕事や富や機会を作り出す起業家がいる。ヒーローたちは個人や家族であり、その税金が政府を支え、自発的な寄付が協会やチャリティや文化、芸術そして教育を支えている。愛国心は口にはださないが心に深くきざみこまれており、その価値観がわれわれの国の生活を支えている。 わたしはヒーローのことを第三者のように話してきたかもしれないが、私が言いたいのはあなたたちのことである。なぜなら私が話しているヒーロー、つまりあなたたち、この祝福された国の国民たちに向かって演説しているのだから。あなたたちの夢や希望、目的は、神に誓って、この政府の夢であり、希望であり、目的なのです。 われわれは、あなたの性格の大きな部分をしめている思いやりを人にもたらさなければならない。われわれは国を愛していながらその国の人を愛さないなんてことがあるだろうか、そして愛していれば、彼らが倒れていれば手をさしのべ、病気のときは看病し、彼ら自身でも十分と思えるほど機会を提供でき、そうすれば彼らは机上だけではなく実際に平等となるのではないだろうか? われわれは直面している問題を解決できるだろうか? 答えは、はっきり力強く「はい」といえる。ウィンストン・チャーチルの言葉を簡単に言いかえれば、私は世界でもっとも強い経済が崩壊するのをこの目で見るつもりでたった今宣誓したりはしないということだ。 これから先、われわれの経済を減速させるような障害物を私は取り除くつもりである。手順は、政府のいろいろなレベルでのバランスをとることを目指しながら進めて行く。歩みは遅いかもしれない、ミリやセンチで計るものでメートルでは計れないだろう、でもわれわれは前進する。この産業の巨人は再び目覚め、政府をその歳入の範囲内におしとどめ、懲罰的な税金を軽くするときなのである。そしてそれこそがわれわれがもっとも優先することである。そしてこの方針においては、妥協は一切しないつもりだ。 われわれの独立の苦闘の前夜に、アメリカの建国の父のなかでも最も偉大な人物の一人と思われる男、ジョセフ・ワーレン、マサチューセッツ議会の議長であるが、アメリカ国民にこう語っている。「われわれの国は苦境に陥っている。しかし絶望することはない。アメリカの将来はあなたたち次第なのだ。あなたたちは、まだ生まれぬ何百万もの人々の幸福や自由がかかっている重要な問題を解決しなければならない。自身にふさわしい行動をしてください」 さて私は、われわれ今日のアメリカ人が自身にふさわしい行動をとる準備や、自身や子供たちや孫たちの幸福や自由を守るためにやらなければならないことをやる準備ができていると信じている。そしてわれわれがここ、われわれ自身の土地で、自身を新たにすることで、世界中においてより大きな力をもつのがわかるだろう。われわれは再び、現在自由をもってない人々に対して自由の手本となり、希望のかがり火となることだろう。 われわれと自由を共有している隣国や同盟国に対しては、われわれは歴史的な結束を強め、支持を保証し、コミットメントを強固なものとする。われわれは忠誠には忠誠をもって当たるだろう。われわれはお互いに益となる関係のために力を惜しまない。われわれは友情を隣国や同盟国の主権に強いるようなことはしないし、われわれの主権は、売りに出されているようなものではない。 自由の敵、潜在的に対抗するようなものに対しては、アメリカ国民がもっとも望んでいるのは平和だということを知っておいてほしい。われわれは平和のために交渉するし、犠牲を払う。ただわれわれは、未来永劫に平和のために降伏することはないだろう。 われわれが寛容であることは、決して誤解されてはならない。われわれが紛争に消極的なのは、意思が不足しているからと誤って判断されてはならない。国の安全を守るために行動が必要なときは、われわれは行動する。われわれは、必要ならば効果があるのに十分な力を保有しつづけている。もしわれわれがそうすれば、それこそがその力を決して使わない公算がもっとも高いことを知っているからである。 とりわけ、われわれはどんな武器でも、世界中の武器庫の武器でさえ、自由な男女の意思と道徳的な勇気にくらべればものの数ではないことを理解しなければならない。それこそが、今日われわれの敵が持ち合わせていない武器なのである。それこそが、われわれがアメリカ人としてもっている武器なのである。テロリズムを実行し、隣人を苦しませるような人々をみれば、このことは理解できるだろう。 私は何万人もの祈りの会が本日開かれていると聞いている。そしてそう聞いて私は深く感謝している。われわれは神の下の国であり、私は神こそがわれわれを自由にしようと思っていると信じている。もしこれから何年間も大統領就任演説の日に、祈りの日であると宣言されれば、ふさわしいし、よいことだと私は思う。 このセレモニーがあなたがたもすでに聞いたように、この議事堂の西側で行なわれるのは歴史上始めてのことである。ここに立っていると、壮大な眺めが目に入り、この都市のすばらしく美しく、歴史に彩られた町並みがひらけている。この屋根のないモールの端は、われわれがその肩の上にのっている偉大な人々にとって神聖な場所なのである。 われわれの目の前には、歴史的な価値のある人のモニュメントがある。ジョージ・ワシントンはわれわれの国の建国者である。謙虚な人柄で、権力の座にはしぶしぶながらついた人だった。ワシントンはアメリカを独立戦争の勝利から独立国家としての揺籃期まで導いた。もう一方の端には、トーマス・ジェファーソンの荘厳な記念碑がある。アメリカ独立宣言は、彼の雄弁さで輝いている。 そしてリフレクティングプールを超えてリンカーン記念堂の荘厳な柱がある。だれでもアブラハム・リンカーンの人生にアメリカの真の意味が見出されることは、心から理解できるだろう。 英雄のモニュメントをこえるとポトマック川がある。その対岸には、アーリントン国立墓地のなだらかな丘があり、そのシンプルな白い目印が十字架やダビデの星をささえ、列をなしている。それらは結局のところ、われわれの自由に支払われた代償のほんの一部分にすぎない。 その目印のどの一つをとっても、私が先ほど話したようなヒーローのモニュメントである。その命はベローの森やアルゴンヌ, オマハビーチ, サレルノそして地球の反対側のガダルカナル、タラワ、ポーク・チョップ・ヒル、長津湖、そしてベトナムという場所での何百の水田やジャングルで失われた。 その一つの目印には一人の若い命が眠っている、マーティン・トレップロウ、1917年に小さな町の床屋の仕事をなげうって、名高いレインボー師団でフランスに渡った男だ。西部戦線で、彼は砲弾の飛び交う中、大隊の間を一つの伝言をとどけようとして命を落とした。 われわれは彼が日記を携帯していたことを聞いている。本の余白ページには「私の誓約」という表題の下にこう書かれていた。「アメリカはこの戦いに勝たなければならない。そのために僕は戦い、倹約し、犠牲をはらい、耐え、勇気をもって戦い、そして、全ての苦しさの原因は僕自身にあるかのように最善をつくすこと」 今日われわれが直面している危機は、マーティン・トレップロウやその他の何千人もの人々がそのために召集されたような犠牲をわれわれに求めはしない。しかしながら、われわれ自身の最大限の力と、すばらしい行ないをするために自身とその能力を信じようとする心を求められている。神の助けをかり、ともにそれを信じるために、われわれは今直面している問題を解決できるし、するだろう。 そして結局、どうしてそれが信じられないというのだろう? われわれはアメリカ人ではないか。 神の恵みがあなたにありますように、どうもありがとう。
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