——その小さな体で生命が危険な状態にあることを訴え続けていたのに——。4歳の男児ののどに割りばし片が刺さっているのを見逃し死亡させたとして起訴された医師の判決公判で、東京地裁の川口政明裁判長は異例の「付言」を述べた。
——孩子一直用自己幼小的身躯诉说着自己处于危险状态——。一名医生没有注意到喉咙被卫生筷子刺伤4岁男孩,导致该孩童死亡而被起诉,在公审中,东京地方法院院长川口政明破例地说了一句“附言”。
判決は、医師の過失を認める一方で、業務上過失致死については無罪とした。「付言」では、遺族の深い悲しみに触れながら事故の教訓を述べる。
判决中承认了医生所犯的过失,但另一方面,在工作上的过失致死这一点却判其无罪。“附言”中表达了对遗属深深的哀伤,同时也谈到了这一事故带来的教训。
「患者が発するサインを見逃さないことをはじめ、真実の病態を発見する上で必要な情報の取得に努め、専門性にとらわれることなく、患者に適切な治療を受ける機会を提供することが求められている」
“希望医生首先不要忽视患者的症状,在发现真实病因的条件下努力取得必要的信息,不要拘泥于具体属于哪一科,为患者提供适当的治疗机会。”
死亡した杉野隼三(しゅんぞう)ちゃんの母で高校教諭の文栄さんは「死を無駄にしたくない」と手記を書いた。病院の対応に傷つくが、周りの人々のあたたかさに触れて、隼三ちゃんのふたりの兄を育てながら立ち直ろうとする姿が描かれている。
死者杉野隼三小朋友的母亲,高中教师文荣女士在手记中写道:“不想让孩子白白死去。”里面写到尽管医院的态度让自己很伤心,但同时也感觉到了周围人们的关切之情,自己会振作起来,好好将隼三的两个哥哥抚养成人。
小学生の兄を前に「人はみんな誰でも一人では生きていけないから……」とみんなで歌った同級生。文栄さんのかつての教え子は鉄道模型を持ってきて兄と遊んでくれた。「憎しみと怨念(おんねん)の人生を送ってはいけない……ふたりのお子さんを立派に育てなさい」と何度も励ます人もいた。(「「割り箸が脳に刺さったわが子」と「大病院の態度」」小学館文庫)。
同班同学一块在还是小学生的哥哥面前唱着“每个人都不能独自己生存下去……”文荣女士曾教过的学生也带来铁路模型和隼三的哥哥一同玩耍。“人生不能充满憎恶与怨恨……好好将两个孩子养大吧。”也有人多次鼓励过文荣女士。(《“卫生筷子刺进我家孩子的头部”与“大医院的态度”》小学馆文库)
「付言」には、事故を二度と繰り返さないために、この教訓を糧とすることが隼三ちゃんへの供養となり、鎮魂となると記されている。その文面を目で追いながら、裁判官の「肉声」を聞く思いがした。
《附言》中写到,为了让悲剧不再重演,将以这一教训作为供品祭奠隼三小朋友,以安定其灵魂。笔者一边看着这些文字,一边感觉自己仿佛听到了法官“真实的声音”。
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