今からふた昔前、東京都内のある大学の教授が、授業の出席率の悪さに業を煮やして、こんな試験問題を出した。問題用紙には教授を含む数人の顔写真が刷られ、「私はどれでしょう」
業を煮やす:事が思うように運ばず、腹を立てる。「無意味な発言が続き―?して席を立つ」
大约在二十年前,东京都内某大学的教授,由于上课的出席率不佳而大为恼火,出了这样的一份试卷。试卷上印着包括教授在内的几个人的照片,“我是哪一位呢?”
翌年、学生の間に出回ったノートのコピーに教授の写真が添えられていたのは、言うまでもない。授業に出ない学生にも言い分があった。毎年、すこしも変わらぬ単調な授業だったのだ。かつては自分の好きなテーマだけを延々と講義して、学生の興味や関心を顧みない大学教員が多かった。
いいぶん[0]「言(い)分」
〔それぞれの立場に基づく〕主張。〔狭義では、不平?文句の意に用いられる〕「―が通る」
不用说,第二年学生之间交流的笔记的复印件中,又添加了教授了照片。没有上课的学生对此事也颇有微辞。因为他们每年上的尽是些一成不变单调的课。很多大学老师没完没了地只是讲些自己以前喜欢的题目,根本不顾学生的兴趣和关注的内容。
昨今は、どうも風潮が変わったようだ。某国立大が教員に配っている授業のやり方ハンドブックを見ると、次のように書いてある。ユーモアを交えて学生の興味をかきたてる。1回ごとの講義を読みきりでまとまったものにする。ビデオなどの映像に訴える。
さっこん[1]「昨今」
きのうきょうというような ごく最近の過去のこと。最近。「―の ご時勢では」
近来,这种潮流似乎有所改变。笔者看到某国立大学在发给教员们的授课方法手册中,如是写到:以幽默的方式诱导学生的兴趣。读透每一次讲义并很好地进行归纳总结。使用录像等影像器材。
毎回の授業の概要をプリントして配るのは常識だという。授業内容も、様変わりだ。政治学を例にとると、かつてはルソーの「社会契約論」などの古典を読んだり、欧州議会史などをこまごまと講義したりしていたが、今は郵政民営化などの現在の問題を使ったり、現職の日本の政治家を研究する授業もある。
様変わり: 1.ようすや情勢がすっかり変わること。「区画整理が行われて―した町並み」
2.取引で、相場のようすが一変すること。多く、急騰して活気づいてきた場合にいう。
据说把每堂课的要点印给学生是一种常识。上课的内容也该是多变的。以政治学为例,以前是读读卢梭的《社会契约论》等古典著作,或者详解欧洲的议会史,但现在也有在课堂中讲解邮政民营化等当今问题,或者研究现任的日本政治家的授课方式。
ところがおもしろいもので、学生の間ではこんな意見も聞いた。「現代は情報があふれて、どれを読み、何を信じるべきか迷う時代。授業が現代の素材を扱うとその延長のような気がしてしまう。むしろ古典を読みたい」
不过令人觉得有趣的是,在学生中也有这样的意见。“现代是一个信息充斥的时代,也是一个令人迷惑不知该了解什么相信什么的时代。课堂上如果采用现代社会的体裁,反倒令人觉得更加迷惑。倒不如去读些古典作品。”
いつの時代も、学生の不満の種は尽きないと言うべきか、何事も配合とバランスが難しいというべきなのか。考えさせられる。
应该说不论什么时代,学生的不满总是无穷尽的,还是应该说凡事的配合其平衡总是件困难的事情。真是不能不思考呀。
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