作者:市川保子 「ている」には次のようにいくつかの用法があります。 (1) 公園で子どもが遊んでいる。[動きの継続] (2)エアコンがついている。[(動きの)結果の残存(状態)] (3)新しい背広をもう着ている。(完了) (4)まだ昼ご飯を食べていない。(完了の否定) (5)エジプトには2回行っている。(経験) (6) この山はしばしば小噴火を起こしている。(動作の反復) (7)この川の水はいつも澄んでいる。(属性) (8)彼は太っている。(状態) この中で初級で問題になる (1)(2)について考えてみましょう。 (1)は一般に「動作の進行」を表すと言われているもので、(2)は何かが起こってその結果の状態が残存している「結果の残存(状態)」ことを表します。 (「動作の進行」はもう少し時間のスパンを長くとって、「会社に勤めている」「土日はアルバイトをしている」などにも使われます。) いつ「動作の進行」を表し、「結果の残存(状態)」を表すかは、「ている」の前に来る動詞の性質によって決まります。「ている」を付けて意味がどう変わるかによって、動詞を次のように分類することができます。(金田一1950*) 1. 継続動詞(食べる・書く・勉強する、など) →「ている」が付いて、「動詞の進行」を表す。 2. 瞬間動詞(死ぬ・あく・つく・止まる、など) →「ている」が付いて、「結果の残存(状態)」を表す。 3. 存在を表す動詞(ある・いる) →「ている」が付かない。 4. 第4の動詞 →常に「ている」が付いて、形容詞としての意味を表す。 ((水が)澄んでいる、(角が)尖っている、など) 2の瞬間動詞はその動作が起こる前とあとでは変化が起きているので、変化動詞と呼ばれることが多いです。 また、1と2の両方の性質をもつ動詞もあります。移動の動詞と呼ばれるもので、「行く・来る・帰る」などがそれに当たります。たとえば、「行っている」は「今(目的地へ)行きつつある、行く途中だ」という意味にも、「もうすでに到着して(目的地に)いる」という意味にもなります。 学習者には「動作の進行」(ご飯を食べている、日本語を勉強している)はわかりやすいようですが、「車が止まっている」「窓が開いている」などの「結果の残存(状態)」は難しいようです。 また、「車が止めてある」「窓が開けてある」と「てある」との混同も見られます。基本的には、意味用法はほぼ同じで、作り方は次のような違いがあります。 「自動詞+ている」 エアコンがついている。 「他動詞+てある」 エアコンがつけてある。 次に「ている」の否定「ていない」について考えてみます。 次の会話(9)(10)で、学習者Bの文は適切とは言えません。 (9)A:もうごはん食べた? B:食べなかった。 (10)A:もうごはん食べた? B:食べない。 (9)の「もうごはんを食べたか」という質問は動作が完了済みか否かを聞いています。現時点まででまだ完了済みでない場合は、「(まだ)食べていない」とすべきで、「食べなかった」を用いると、ある期間中にその動作が行われなかったことを表し、(10)で「食べない」と答えると、話し手の意志を表し、「食べる意志がない」になってしまいます。 今から10数年前、筑波大学留学生センターでSFJ(Situational Functional Japanese)という初級教材の作成に関わったことがあります。SFJには、今までの文型中心の教材ではなく、できるだけ自然な日本語を早い段階から提出していこうという考えがありました。
私は文法担当の一人でしたが、「ている」の実際の使われ方を調べてみると、「食べている」「見ている」のような動作の進行はあまり現れず、「止まっている」「こわれている」「開いている」のような結果の状態を表す「ている」のほうがよく使われていることがわかりました。 それまでの初級教科書では、「ている」はまず動作の進行を導入して、だいぶあとになって、結果の状態の「ている」を教えるのが普通でした。 SFJはコミュニケーションを重視するという、新しいコンセプトに立った教科書なので、現実の使用の状況に沿ったものにしようと、文法担当者で相談して、結果の状態の「ている」を5課で、動作の進行の「ている」を13課で導入することにしました。 5課での結果の状態の「ている」の導入はいろいろな問題を含んでいました。「開いている」「止まっている」のように、「ている」の前に来るのは自動詞が多いです。ところがその前の課の「てください」では、学習者は「開けてください」「消してください」のように他動詞をようやく覚えたところです。 学習者に自動詞・他動詞の混乱が起きました。 しかし、それ以上に学習者に難しいのは、状態性のということではないかと私は思います。 動作の進行は目に見える現象です。動きは誰の目にも明らかで、動きに沿って描写すれば表現できます。 一方、結果の状態は、目に見えているのですが、話し手は、動きのない静止したものを、一つの意味のある状態としてとらえて、それをある形式で表現しなければなりません。 そこに自動詞・他動詞が絡んでくるので、結果の状態の「ている」が学習者には、難しい、定着しにくい理由があると考えられます。 数多くの既成の教科書が、動作の進行の「ている」を先に提出しているのも、たぶん、深い配慮からなのでしょう。 *金田一春彦(1950)「国語動詞の一分類」『日本語動詞のアスペクト』(1976) むぎ書房に再録 |