基本的な例文
基本述語型の中に現われる助詞、つまり格助詞は、述語の表わす事柄を補う ための補語を名詞とともに形作ります。言い換えると、述語と名詞との関係を 表わす重要な役目を果たします。 それに対して、これから見ていく副助詞は、事柄の内容そのものを形作るの ではなく、それが付く名詞に対する話し手の何らかの評価や、そこに現われて いないその外の名詞を暗示するような働きを持っています。 こういう説明のしかたでは、かえってわかりにくいかもしれません。具体的 な例を見てみましょう。 男の人[が]来ました。 男の人[だけ](が)来ました。 男の人[しか]来ませんでした。 男の人[ばかり]来ました。 男の人[も]来ました。 男の人[さえ]来ました。 [ ]をつけたものが副助詞です。これらの文は「男の人が来た」という基本 的な事柄そのものは共通しています。それぞれの違いは、この事柄に対する評 価・見方の違いと言えばいいでしょうか。 例えば、「Nだけ」の場合は、来た人は全部男で、「女の人」が来なかった ことを示しています。しかしそれは「男の人が来た」ことには変わりありませ ん。 別の言い方をすれば、この場面を写真にとったとすると、「男が」と「男だ け」の違いはその画面では表わせません。同じ事実の、話し手によるとらえ方 の差なのです。 「Nしか(~ません)」になると、述語が否定になることと、意味的にも否 定になって「女の人」が来なかったことを残念に思うような意味合いが出てき ます。 「Nばかり」は全部男だったこと。そしてやはり女の人が来なかったことを 残念に思っているようです。 「Nも」と「Nさえ」はこれまでものとは違って、「女の人が来た」ことを 暗示します。「Nも」は女の人プラス男の人、で、「男の人が来る」ことが多 少予想外だったことも表わします。「Nさえ」になると、その「予想外」の気 持ちが更に強くなります。 以上の例文は、主体を示す「男の人が」に副助詞を付けた場合(「が」は省 かれる)ですが、外の種類の補語や数量に付けると、意味合いや使い方の制限 が違う場合があります。それらの一つ一つを、これから少しくわしく見ていきましょう。 副助詞は以上にあげた外に、「Nなど」「Nほど」「Nでも」「Nぐらい」 「Nまで」「Nこそ」などがあります。 「Nも」は用法の広い助詞です。ここでその用法をまとめておきます。特に数量に 関する用法が微妙です。 「Nは」の本来の役目は「主題」を示すことですが、副助詞としての用法もあります。 他との比較のためにここでとりあげ、特に数量に関する用法に触れます。 18.1.2 副助詞と格助詞の重なり方 副助詞はいろいろな補語につきます。その時、格助詞と重なるわけですが、 その結果どうなるかには、三つの型があります。 a 格助詞が消える場合 彼しか来なかった(彼が来た) b 格助詞の後につく場合 彼にしか話さなかった(彼に話した) c 格助詞の前につく場合 彼だけが来た(彼が来た) b、cの場合は、格助詞が省略できることもありますが、aの場合は必ず削 除されるという点が違います。 ×彼がしか(×彼しかが)来なかった あそこしか行かなかった(あそこにしか行かなかった) 彼だけ来た(彼だけが来た) b、cのどちらにもなる組み合わせもあります。 彼にだけ話した 彼だけに話した この格助詞の省略・位置という点についても注意して見て行きましょう。 では、副助詞の一つ一つを見ます。まず「限定」の意味をもつものからはじめて、 次に、程度・数量など、例示、強調、その他と進んでいく予定です。
Nしか(~ない):限定
「Nしか」は必ず否定を要求するという点で特殊なものですが、初級のかな り早い時期から使われるものです。後でみるように「だけ」との使い分けが問 題になり、学習者の誤りの多いものでもあります。 (机はなくて、)いすしかありません。(いすがある:Nが) お母さんしか来ませんでした。 学習者がまずとまどうことは、述語が否定形になっているのに、否定されて いるのはそこに出ている名詞ではなく、そこにない、何か外の名詞だというこ とです。初めの例で言えば、「いす」はそこにあり、「ない(ありません)」 のは「いす」以外の、例えば「机」だということです。「お母さんしか来なか った」というのは、「お母さんは来た」のですが、この文で主に言いたいこと は「それ以外の人は来なかった」ということなのです。それ以外の人(例えば、 お父さん)が誰なのかは文脈によってわかることで、この文からはわかりませ んが。 以上のことは、日本人にはまったくかんたんなことで、何が難しいのかわか らないような文型なのです(当り前です。子供のときから毎日使っているので すから)が、初歩の学習者にとっては非常にわかりにくい、使いにくい文型な のです。ですから、彼らは「Nだけある/来る」などを使いたがります。 いすだけがあります。 お母さんだけが来ました。 これでは、否定的な意味合いが薄れてしまいます。 もう少し、主体以外の他の例を見てみましょう。 鳥は水しか飲みませんでした。 (水を:Nを) いつも学校(へ)しか行きませんでした。 (学校へ:Nへ) ゴミはここ(に)しか入れませんでした。 (Nにしか) 家の中でしか遊びません。 (Nでしか) 直通電車はこの駅からしかありません。 (Nからしか) ここまでしか進みませんでした。 (Nまでしか) 格助詞の現われ方を見ると、「が」「を」は必ず削除され、「へ」や「に」 は省略してもしなくてもよく、「で」や「まで」は省略されるとわかりにくく なります。そして、いつも格助詞より後にきます。 数量についた場合は、それが(必要量・予想した量より)少ない数・量である ことを示します。 100円しかない。(100円あるが、それはとても少ない) 10分しか続きませんでした。 5階までしか上がりません。 使える文型は動詞文と「ある」の否定の「ない」だけのようです。形容詞文 は不自然になります。 ?今日のおかずの中では、これしかおいしくないです。 (cf. これがおいしくないです) ?今月は日曜日しか暇ではありません。(cf. 暇がありません) ×家族の中で、私しか健康じゃない/背が高くない。 (cf. 家族の中で私だけが 健康だ/背が高い) ×この中で、田中さんしか日本人じゃありません。 (cf. この中には、田中さんしか日本人はいません。) 比較の文型で、数量につけば形容詞でもいい場合があります。 安いと言っても、たった100円しか安くない。 今日はずっと早いと思ったが、昨日より20分しか早くない。 Nだけ:限定
「限定」の働きをもちます。その名詞以外のものはそうでなく、その動作・ 現象がその名詞に限って当てはまることを表わします。まず、動詞文の例をい くつか。 彼だけ(が)来ました。 パンだけ(を)食べました。 彼にだけ/彼だけに 話しました。 銀行(へ)だけ行きました。(?銀行だけへ)図書館へだけ行った 銀行(に)だけ行きました。(?銀行だけに)図書館にだけ行った あの人からだけ返事が来ました。(あの人だけから) ここ(に)だけ/ここだけに 入れました。 ここ(で)だけ/だけで 買います。 「彼だけが来た」は、「彼が来た」ことと、「他の人は来なかった」ことを 述べています。どちらかと言えば、「来た」ことのほうに重点があります。そ こが「Nしか」との違いです。 「だけ」は格助詞の現われる位置が特徴的です。「が」「を」は、省略する ことができますが、現われる場合は必ず「だけ」の後ろです。 ほかの格助詞は、多少の自然さの違いはありますが、前でも後でもいい場合 が多いようです。意味に変わりはありません。 ただし方法の「で」だけは意味が違います。 a この薬だけで治ります。 b この薬でだけ治ります。 aはほかの方法は必要ない、といっていますが、bはほかの方法では治らな い、と言っています。 a「この薬だけ(ほかのものは使わない)で治る」(手術をしたり、い ろいろやればもちろん治るかもしれないが) b「この薬で(この方法で)だけ治る」(手術してもダメ) ただし、bの場合は「しか」を使ったほうが自然な文になりますから、「Nで だけ」はあまり使われません。 この薬でしか治りません。 [数量についた場合]
その数量より多くない、ということを表わします。含みとして、 a「少ない」という場合と、 b「ちょうど」(それより多くも少なくもなく) という場合があります。「少ない」という気持ちをはっきり示したいときは、 「しか~ない」を使います。 「いくらありますか」「5千円だけ持ってきました」 「ずっと勉強しましたか」「1時間だけ勉強しました」 5千円しか持っていません。 1時間しか勉強しませんでした。 「5千円」が少ないかどうかは、その文脈で必要とされる量によります。 また、「だけ」で特徴的なことは、その「数量」が、ある「全体の一部」で ある、という意味合いをもつことが多いことです。 (会員は8人だが、)その夜は4人だけが来ました。 (講演会を開いたが、)?お客は5人だけ来ました。 お客は5人しか来ませんでした。 「4人」のほうは、「8人」の中の「4人」です。「5人」のほうは、不特定 多数の中の「5人」ですし、文脈からいかにも少ないという状況であることが わかるので、「しか」のほうが適当です。 数量の場合に「ちょうど」の意味にもなるように、分量を表すような表現に ついた「だけ」は、「ちょうどその分」の意味になり、「少ない」という意味 合いはありません。例えば、 これだけください。 の「これ」が一つのものを指せば、「外のものはいらない」という限定の意味 になりますが、手にたくさん抱えた状態で「これだけ~」と言えば、「ちょう どその分」というような意味になります。 必要な量だけ持っていきました。 「それ以上は持っていかなかった」という意味での「限定」はありますが、 「少ない」という意味合いはありません。 いすはちょうど人数分だけありました。 いすの数だけお皿を出しました。 「~と同じ数・量」です。 [形容詞文・名詞文]
「だけ」は「しか」と違って、形容詞文・名詞文でも使えます。 これだけが特に難しいです。 おばあちゃんだけがいつも元気で、かぜもひきません。 彼は若い女性にだけ親切です。 この中であの人だけが日本人です。 [だけだ・だけで・だけの]
「だけ」は補語について連用修飾になるだけでなく、「だ・です」を伴って 名詞文の述語となることができます。「NだけのN」の形にもなります。 会員は留学生だけです。 まちがいは一つだけです。 この仕事は今日だけで、明日はありません。 留学生だけのクラス 今日だけの仕事 「~のはNだけだ」の形もよく使われます。(→「57.5 強調構文」) 来たのは彼だけです。 かばんに入っていたのはパンだけでした。 [「だけ」と「しか」の違い]
この二つの違いはよく議論になります。英語の「only」に当たる言葉を「だ け」と覚えてしまうと、「しか」を使うべきところでも「だけ」を使うように なってしまいます。また、「しか」は述語を否定にしなければならず、その分 面倒なので「だけ」のほうが使いやすいということもあるでしょう。 基本的には、「だけ」は肯定的、「しか」は否定的、と言う違いがあります。 (まだ)半分だけある。(だから大丈夫だ) (もう)半分しかない。(だからだめだ) つまり、「だけ」は「ある」ことを述べ、「しか」は「ない」ことを述べます。 また、「だけ」は肯定文にも否定文にも使えます。 彼女だけ来た。 彼女だけこなかった。(他の人はみんな来た) 彼女しかこなかった。 「だけ+否定」の表す意味は、「しか」ではそのままは表せません。 最後の問題だけできなかった。(一つできなかった) 最後の問題しかできなかった。(一つできた) cf.最後の問題しかできないのはなかった。(一つできなかった) すでに見たように、「だけ」は形容詞文や名詞文にも使えますし、「だ・で す」の前でも使え、用法の広がりが「しか」に比べてずっと広いことが特徴で す。 「だけ」は述語を受けることもできますが、それは複文のところで扱います。 (→「53.程度・比較・限定」) 「だけ」に近い意味の「Nのみ」という形があり、書きことばで使われます。 この土地でのみ行われる 残るは彼のみだ 神のみぞ知る Nばかり:限定
「だけ」に意味が近く、あることに該当するのはその主体・対象などに限ら れて、ほかのものはそうでないことを言います。が、「だけ」が該当するもの が限定されていて、少ないような意味合いであるのにたいして、「ばかり」は 該当するものはすべてそうである、という意味合いです。繰り返しが暗示され ることもあります。 私ばかり(が)しかられます。 ごはんを食べないで、おかずばかり(を)食べます。 テレビばかり見ています。 cf. テレビを見てばかりいます。 女の子とばかり遊びます。 映画にばかり行きます。 このおもちゃでばかり遊ぶのです。 株のセールスマンは「絶対大丈夫」とばかり言います。 特に次の形では「全部がそうだ」という意味合いが強く、「だけ」は使えま せん。 文法の本を読むと、知らないことばかりです。 あの山の頂上は岩ばかりです。 「が」と「を」の前に来る外は、格助詞の後ろに付くのがふつうです。 形容詞文、名詞文の補語には付きにくいようです。 ?彼ばかりがいつも暇です/病気です。 「だ・です」の前にも来ます。「ばかりの」の形もあります。 会員は男の人ばかりです。 会場は有名な人ばかりで、ちょっと緊張しました。 嘘ばかりの証言 貴重本ばかりの書庫 数量のあとに付けてだいたいの量を表わします。「ぐらい」と同じような使 い方ですが、書き言葉的です。実際に数量がはっきりしなかったというより、 表現を柔らかくするために数をぼかして言う言い方としてよく使われます。 3日ばかり旅行をしました。 20人ばかりいました。 述語を受ける用法は、複合述語と複文のところで扱います。 今着いたばかりです。(→「24.10 V-たばかりだ」) ただ借金が増えるばかりだった。(→「53.3 限定」)
Nぐらい(くらい):程度
Nが比較の基準となり、あるものがどの程度のものであるかを示します。使 われる文型によって意味合いが少し違います。 「Nと同じぐらい」の意味で、そう言い換えられる場合。比較の文型につな がる言い方で、形容詞文や様子を表す動詞文の場合、「だ・です」が続く場合、 「NぐらいのN」の場合です。「Aぐらい~Bはない」の形で、「Aがいちば ん~」を表します。 これ(と同じ)くらい重いです。 休みの日と同じぐらい暇です。 大雨の日の川(と同じ)ぐらい濁っています。 私の犬も、大きさはこれ(と同じ)ぐらいです。 あなたのぐらいの車が欲しいですね。 ここはちょうど野球場ぐらいの広さがあります。 あれぐらいの大きさで、赤いカバンはありませんか。 彼女くらい頭のいい人はいない。(彼女がいちばん頭がいい) あの人ぐらい勉強すれば、何でもわかるでしょう。 指示語の「-れ」「-の」の両方に付けられます。副助詞はふつう「-れ」 に付くので、この点は例外的です。 長さはこのくらいです。 どのくらい どれくらい (×どのだけ、×どのほど) 動詞文の補語に付く場合、「最低限」という意味合いがあります。特に、可 能を表す述語の場合、その名詞に対する低い評価があります。 私だって新聞ぐらい読みますよ。(難しいものは読まないが) 休みの日でも、警備員ぐらいいるでしょう。(いるはずの人間として 最低限警備員は。職業に対する評価ではありません。念のため。) 彼にぐらい知らせておいたら。(少なくとも彼には知らせるべき) 日曜日ぐらい家にいてよ。(外の日はともかく:妻が夫に) お茶ぐらい出しなさいよ。(食べ物はいいから) この問題ぐらい、私にもできますよ。(やさしい問題) ひらがなくらい読めるでしょう。 ちょっとぐらい待てないの。(長く待てとは言わないけれど) 以上の例は「Nだけは」と言うこともできます。 私だって新聞だけは読みますよ。(外のものは読まない) 彼にだけは知らせておいたら。(他の人はいいけど) けれども、やはり意味合いの違いははっきりあります。「だけ」は特にそれ を取り立てていますが、「ぐらい」は、当然のこととして軽く言っています。 次の例はちょっと特別です。 できたのは彼女ぐらいだ。(彼女だけだ) この例は、いわゆる「強調構文」ではありません。「×彼女ぐらいができた」 という形にはなりませんから。「~ぐらいのものだ」という形もあります。 複文の中の例を一つ。 これぐらいやっておけば大丈夫だろう。 これだけやっておけば大丈夫だろう。 それぞれ単文として独立させると意味が違います。 これぐらいやっておこう。 これだけやっておこう。 「ぐらい」のほうは、最低限、という軽い気持か、あるいは、目の前にある量 があって、だいたいそれと同じぐらい、という場合です。「だけ」のほうは、 他のものはやらずに、という限定の気持です。 複文になると、「だけ」のほうが二つの意味になります。限定の意味と、け っこう大した分量をやった、だから大丈夫だ、という意味にもなります。 [数量+ぐらい]
「ぐらい」が数量につく場合は、「だいたい」の意味になります。 今から1時間ぐらいかかります。 長さが10mぐらいあります。 街頭で何かの募金を頼まれたとき、 百円ぐらい出さないと、みっともないかな。 と言うと、「最低限」および「百円」にたいする低い評価を感じますが、 百円ぐらい出せばいいかな。 と言うと、「だいたい」の感じでしょうか。 動詞を受けて節になる場合は「53.1 程度」を見て下さい。
Nほど:程度
程度を表し、形容詞文で多く使われます。単文では「N+ほど」は否定とと もに使われるのがふつうです。比較の構文の否定の形です。(→ 17.1) 今日は昨日ほど暑くないです。(×今日は昨日ほど暑い) 中国語は英語ほど上手ではありません。 今年は去年ほど事件がありませんでした。 日本酒はビールほど飲みません。(ビールを) 「Nに」には付きにくいようで、あまり自然な言い方とは言えません。 母は私には弟にほどやさしくありませんでした。 指示語の「-れ」の形に付きます。(「このほど」は別の意味) 私のカバンはこれほど重くないです。 「それほど」は「それ」が具体的なものを指さず、「そんなに」の意味になる 場合がよくあります。 日本語はそれほど難しくないです。 「Aほど~Bはない」の形で「Aはいちばん~」を表します。 あの人ほど親切な人はいない。(いちばん親切だ) 彼ほどの人はいない。(じょうずな人はたくさんいる。しかし、~) 引用の形では否定が主節の述語に現れることもあります。 これほど難しいとは思わなかった。(これほど難しくないと思った) 複文の従属節の中では、否定がなくても使われます。 あの人ほど頭がよくても、間違えることはあるんですね。 あれほどがんばったのだから、きっと優勝するだろう。 彼ほどの人でもまちがえる。 述語を受ける用法は複文として扱います。(→「53.程度・比較・限定」) この問題は誰もできないほど難しいです。 「それほど」の「それ」が前の文を受ける場合は、否定の述語でなくても使 えます。述語を受けて極端な程度を表す用法になっています。 この問題は誰もできません。それほど難しいのです。 このように前の文を受けるのは「連文」の文法です。 「数量+ほど」の場合は、「ぐらい」より硬い言い方で、丁寧で書き言葉で す。否定とは特に関係ありません。 ロープを5mほどください。 参加者は百人ほどでした。 お金が千円ほど足りません。
Nなど:例示
「など」と言うと、「NやNなど」の形で多くの物の中から例を挙げ、まだ ほかにもあることを暗示する、という用法がすぐ思いつきます。 机の上には本やノートなどがあります。 人の場合は丁寧ではないので、使わないほうがいいでしょう。 田中や山田などが来た。 これは接辞(接尾辞)としての用法で、副助詞としては、その名詞を一つの 例として軽く言う言い方によく使われます。そこからまた、それを低くみる言 い方にもなります。 お茶などいかがですか。(←お茶はいかがですか) この辞書などが適当でしょう。 あいつの顔など見たくもない。 この仕事はあの人などにはできません。(あの人になど) パチンコ屋へなど行ったこともありません。 こんな仕事などは朝飯前だ。 かなりくだけた話しことばでは「なんか」「なんて」も使われます。 お茶なんかどう? あんなやつになんかやるな。 お金でなんか買えないものだよ。 あの人となんて絶対イヤ! これなんていいんじゃない? 述語を受ける場合は複文のところで。(「→55.その他の連用節」) Nでも:例示・極端な例
一つの用法は、いくつかの可能性の中から、一つを取り出して、軽い提案と して例示するような場合に使います。 お茶でもいかがですか。 明日にでも聞いてみましょう。 彼女にでも頼んでみたら? 散歩にでも行きませんか。 じゃあ、新聞でも見て(時間をつぶして)います。 「例示」でなく、それ以外の可能性を考えていない場合は「和らげ」の効果 が出ます。 それはねえ、その棚にでも置いといて。 この「Nでも」の用法は文末に特徴があります。「勧め」「命令」「意志」 などの「ムード」が来ることが多いのです。相手への要求などの直接さを和ら げるために「例示」という意味合いが使われるのでしょう。 すぐ前でとりあげた「など」も例示の意味がありますが、この点で大きく違 います。 次に、もう一つの用法、「極端な例」の「Nでも」について考えましょう。 こんなことは、小学生でもわかります。 この「小学生」は、述語の「わかる」ということが成り立つ低い方の例です。 この問題は、専門の研究者でもわかりません。 この「研究者」は、「わかる」可能性がもっとも高い方の例として使われてい ます。 これらの例からわかるように、「Nでも」は、述語の内容が成り立つ補語の 中で極端な例を出して、その場合に述語で表されるような内容が成り立つこと と、それ以上に「ふつうの例ではもちろん~」という意味を表します。 ですから、上の「小学生」の例が言いたいことは、「これは誰でもわかる、 やさしいことだ」ということか、あるいは、「それなのにどうしてあなたはわ からないのか」というような、状況から推論されうる意味であるかもしれませ ん。どちらにしても、「小学生にわかる」ことが中心的な意味ではありません。 難しい仕事でもやります。(Nを) このロボットは狭いところにでも入ります。 参加者はかなり遠くからでもやってきます。 あの人は台風の日でも休みません。 なお、「疑問語」についた場合の「いつでも・どこでも・だれでも」などは 「不定語」として別に考えました。(→「16.疑問語・不定語」)条件の「~ ても」で述語が「Nだ」の場合、「Nでも」の形になります。 教師が休みでも、学生は自分でよく勉強します。 この「極端な例」の「Nでも」は、くだけた話しことばで「Nだって」と言 うことができます。 あたしだってそのぐらいできるわよ。 うちの会社は日曜だって呼び出すんだぜ。 どんなところにだって行けるさ。 ここからだって2時間で着くよ。 Nまで:極端な例
格助詞の「まで」は時間と場所の範囲を示しますが、この「まで」は、極端 な例を表します。他の人・ものに関してその述語の内容が起こり、いちばん起 こりそうもないNにそのことが起こったことを表します。 私まで間違ってしまいました。 皿まで食べてしまった。 彼女にまでそんなことを言われました。 外国へまで行って探しました。 夜中にまで電話をかけてきます。 「で」と「から」とは使いにくいようです。 ?ヘリコプターでまで探した。 ?外国からまで見学客がきます。 もちろん「まで」も。 ×屋上までまで上りました。(cf. どこまでも行こう。) 「も」「は」とともに使えます。「までも」は「まで」の強め、「までは」 は否定とともに使われます。 あなたまでも(が)そんなことを考えているんですか。 子どもにまでは頼めなかった。
Nさえ
「Aさえ~」というとき、ほかのBやCは「当然~」という前提があります。 あの人さえ失敗しました。 子供にさえ分かることです。 これさえ分かれば、全部できます。 私でさえ、そう思いました。(私が~) 最後の「Nでさえ」という形は、「さえ」の特別な形です。主体の「Nが」 がなぜか「Nでさえ」になります。 東京駅からでさえ、3時間かかります。 「Nからだ+さえ」と考えればいいのでしょうか。よくわかりません。 「さえも」はよく使われますが、「×さえは」とは言いません。 小さなことさえもよく覚えていた。 小さなことさえ忘れなかった。(×さえは)
Nこそ
「ほかのものでなく、これが」という気持を強調するために使います。多く の場合、前に話に出た何かよりもこちらのほうが、という言い方になります。 こちらこそ、失礼しました。 これこそ(が)問題です。 あなたこそ反省すべきです。 こういう苦しいとき(に)こそ、がんばらなければ。 今こそ立ち上がりましょう。 この賞は私などよりも彼女にこそ与えられるべきだ。 会社より病院へこそ行くべきだ。
Nも
「も」は用法の多い助詞です。名詞文(2.3)で最初にとりあげた、 これは山田さんのです。あれも山田さんのです。 という使い方が基本的なもので、他のことと同様のことが言えることを表しま す。そこでは、 ?彼はテニス部だ。彼も文芸部だ。 という例をあげて、「Nも」は「同じ内容の述語が続くとき」使われる、とし ましたが、実際にはもう少し広く使われます。 彼は運動も好きだ。小説もよく読む。 のように、「運動が好きだ」と「小説をよく読む」が類似のこととしてとらえ られる文脈では、述語が同じでなくても「Nも」が使われます。また、「運動 が」と「小説を」のように、補語としては違うものでも「も」がつけられてい ます。これは、見方を変えれば、「運動が好きだ」に対して「小説をよく読む」 全体を範囲として「も」がつけられている、とも言えます。 同類のものをあげていって、極端なものに及ぶことがあります。 彼は昆虫が好きだ。ナメクジやムカデも好きだ。ゴキブリも好きだ。 後の「Nも」は「Nまで」や「Nさえ」のほうがいいかもしれません。 この極端な例だけを示して、他の一般的なものは当然、という用法になりま す。 王・長島もびっくりするような天才打者が現れた。 ことわざや慣用的表現に多く見られます。 馬子にも衣装 サルも木から落ちる この「極端な例+モ」は否定の「-ない」と共に使われることが多く、極端 なものが該当しない、ということは一般のものはもちろん該当しない、つまり は何も該当するものはない、ということになります。 ご飯も炊けない。 ということは、他のもっとまともな料理は何もできない、ということです。 ひらがなも読めません。 小学校も行きませんでした。 その他に、「詠嘆のモ」と言われる用法があります。 巨人も弱くなったねえ。 この場合、他にも弱くなったチームがあって(例えば阪神)、それと同じよ うに、というわけではありません。たんにそのNについて、述語が表す内容が 起こったことを(軽く)詠嘆的に述べているだけです。 俺も年をとったなあ。 あんたも馬鹿だねえ。 秋もようやく深まって、・・・ [数量+も] 以下では数量に関わる用法について述べます。 「数量+も」は肯定文の場合、数量の多さを強調します。 百人も来ました。(百人来た。百という数はとても大きい) 述語が否定の場合は微妙な意味になります。 百人も来ませんでした。 は二つの意味になります。 a 会員二百人のうち百人が来なかった(欠席者が多い) b 百人ぐらいと予想したが、90人ぐらいしか来なかった aは「百人も」が数の多さを表します。その数が「来なかった」のです。そ れに対してbは、「百人来る」ということがなかった、ということで、「百人」 という数自体も少ない数という含みがあります。 このaとbのどちらの意味になるかは、文脈と常識によります。 1時間も待てません。 の場合はどうでしょうか。ふつうは上のaと同じで、「私は忙しいんだ。30分 しか待てない」という場合が多いでしょうが、「ふつうは何日も待つ」という のが常識であるなら、bの意味にもなります。 他の人は何時間でも待つのに、あの人は1時間も待てないんです。 「1+も ・・・ない」は、「まったくない」ことを強調する文型です。 一人もいません。(ぜんぜんいない) 一円も出しません。(「けちだ」という意味合い) 1秒も違いません。 「数+も」で大体の量を表すことがあります。なぜか断定の文では言えず、 推量・条件節などと共に使われる場合にこの意味になります。 1時間も立っていたでしょうか。 2時間もすれば、明るくなりますよ。 なお、「食べもしない」のように述語に「も」がつく例は、「28.3 形式動 詞」のところでふれます。
Nは
「は」は「も」以上に基本的な助詞で、日本語の構文の中心的存在です。 「Nは」の主題の用法も、広い意味で言えば副助詞としての用法に入ります。 ただ、「主題」ということがあまりにも重要な用法なので、ふつうは別に考え ます。「主題助詞」として別の分類をする考え方もあります。 主題を示す用法は「9.「は」について」でくわしく見たので、ここでは数量 に関する用法などをとりあげます。 2千人は来ました。 (少なくとも2千人 最小限) 3千人は来なかった。(3千人未満、しかしそれに近い数) 「は」には対比の意味があるので、肯定文ではその数を肯定し、それより大 きい数(例えば3千)の否定を暗示します。否定文ではその数を否定しますが、 それよりずっと小さい数(例えば2千)の存在を暗示します。 1時間は待てません。(最大限を越える) ただし、文脈から指示対象がわかる場合(その三人、など)は、 結局、3人は来なかった。 「来なかった」人数が「3人」です。 ですから、全体が決まっていて、その部分を言う場合、上の「Nも」に似た ことが起こります。 4分の1は読めません。(常用漢字など二千字の表があって) というと、二つの意味にとれます。 a.読めるのは4分の1より少ない b.読めないのが4分の1ある(4分の3が読める) 「は」には、このほかにもいろいろ用法があります。 副詞に付く「は」は、次のように限定を表します。 英語は少しはわかります。 しばらくは仕事を休んで、のんびりします。 「は」は否定とともによく使われます。これは否定のところでまた触れます。 早くは走りません。 ?早くは走ります。 「美しくはある」のように述語に「は」がつく例は、「28.3 形式動詞」の ところでふれます。
副助詞の重なり
副助詞どうしが重なる場合を見てみます。まず、「は」は多くの副助詞につ くことができます。 名前だけは覚えました。 こればかりはご勘弁を。 足し算くらいはなんとかできます。 あの人ほどはひどくありません。 こんな問題などは朝飯前です。 ワインなどはいかがですか。 お金のことまでは考えませんでした。 今度こそはがんばります。 こうしてみると、やはり「は」はちょっと特別だという感じがします。 「も」は多くありません。すでに触れた「Nまでも」「Nさえも」だけです。 文庫や新書などもありました。 の「など」は接辞と考えられます。 台湾などにも時々出かけます。 となると副助詞と言えるでしょうか。 その他の副助詞同士では、次のような例があります。 これぐらいしかありません。 今の円高くらいでも影響は大きいです。
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